Chakin diaries

ダイエット日記

日本が尖閣諸島をどうしたいのか、そしてそのためになにをしてゆくか、議論を始めよう

菅総理大臣は、訪問先のニューヨークで記者会見し、逮捕した中国人船長を処分保留のまま釈放したことについて、「検察当局が事件の性質を総合的に考慮して、国内法に基づいて粛々と判断した結果だ」と述べました。

http://www.nhk.or.jp/news/html/20100925/t10014192361000.html

尖閣沖衝突事件の中国人船長を釈放: 極東ブログ
船長の釈放について - リアリズムと防衛ブログ
中国の“いつもの”行動への不慣れな民主党政権による過剰反応、あるいは既成事実を積み重ねることで現場の意識を削いで最終的に実効支配されてしまうという警告、など今回の一連の事件を巡る意見がでているが、どれも正しいと私は思っている。
はっきりしているのは、南シナ海東シナ海周辺で第二次世界大戦後しばらく続いていた、米国による海上覇権が揺れ動き出したということだろう。
過去、この海域ではオランダとフランスが植民地を持ち、それに日本が挑戦して結局は敗れ去って、連合国の新たな盟主となった米国が治めて現在に至っている。
これに対して大戦後に国力を増し、大陸で限界まで成長した中国が海洋を新たな支配地域として手に入れるべくして起きたのが、尖閣諸島南沙諸島をめぐる争いであるということを昨日書いた(中国国内の危うい雰囲気)。
国家というのはたががなければ際限なく膨張しようとする。なぜならば国家を構成するのは人間で、人間は生物であり、生物の本質は増殖にあるからである。
生物相が安定しているように見えるのは、それはなんらかの均衡状態にあるからであり、たとえば外来の動植物がそこへ持ち込まれたりすると、激変が起こることはよく知られている。
また、国家が線で区切られて色分けされているのは地図による方便であり、実際はその境界部分は両者の色がまざりあった、濃淡による違いとして考えなければならない。
もっとも、日本は島国という環境にあるせいで、国境というものが存在しないためこのような感覚を持つことに慣れておらず、今回の様な騒ぎに過剰に反応してしまう側面がある。
ただ、尖閣諸島を巡る争いはこれから先何度も続くはずであるし、いずれ双方が軍艦を送り込んで、一瞬即発という危機的な状況にまでエスカレートするだろう。
その時のためにも、これから日本が尖閣諸島をどうしたいのか、そしてそのためになにをしてゆくか、ということを国民の合意として世界に発信する必要があると私は考えている。
これこそが、双方の意図の読み違えによる偶発的な戦争の開始を防ぐ最善の手立てだと信じているし、そんな馬鹿な理由で身内が殺したり殺されたりするのはごめんこうむる。
これからでも遅くない。尖閣諸島や中国の海洋覇権への動きに対して日本がどうしてゆくのか議論を始めよう。